とりあえず、とりあえず、…逃げ道もないし、うーん、
…そうだ、炊事場にテントごと待避!
まずは荷物を順々に移して、そしてテントをばらしもせず移動。
#世の中には家屋をそのまんまン十mも移す職人もいらっしゃいますが、
気分的にはそんな感じ。
気晴らしに持ってきたPalmは中破。メモリーが吹っ飛んだらもう遊べません。
心身共に湿りきったなか、飯を食べていたら、ファミリーキャンパーがやってきたが
夜には退散していきました。そりゃそうだ、大雨強風警報だもの。
そしてこんなに連泊するとは思ってなかった私の食料は、
米と梅干しだけになっていたのでした。
翌日(7/25)は多少雨足が弱くなる。でもこうなると止むまで動くものかと
変な意地がわいてくる。連泊決定。
<数日の生活パターン>
飯→ラジオ→寝る→(左に戻る(爆)
心身共にみるみる衰弱していきました。
いやー久々に死ぬかと思いました。個人的には2年前の京都以来(意味不明)。
夕方になると管理人さんがやって来た。昨日は大雨で来なかったから、
今日は2日分払わないと…
私「あの、昨日も泊まってたんですけど」
管「ふーん。…今日の分200円ね」
なんておおざっぱらかな管理人さんだ〜(^^;
悲劇はまだ終わりません。なにせ翌日の2003年7/26日は、
皆さんもご存じのあの日なのですから…つづく